GT12への道(備中攻め後編・備中高松城と天空の城・備中松山城レポ編)
ブロガー魂GT(現存天守)の12城中国の城備中高松城備中松山城
みんな~?楽しんでる?
俺もどっか行きたいな~・・なんて思ってたら?(苦笑)
季節の変わり目・・お袋が体調崩してダウン( ;∀;)
大人しくしてろよ・・ってことかな?(--;)で、暇になったのでw
新シリーズGK(現存建築)天守を巡る・・・って、今回からGT(現存天守)へ変更!!( ̄▽ ̄;)スマンナ・・
ま、意味は一緒だが~現存建築って言うと、天守以外のいろんな櫓にも言えるしw
このシリーズは現存建築の「天守櫓」を巡るのを主目的としてるのでw
これ移行、カテゴリーも含め、GT(現存天守)12と改めます(過去記事はそのまま^^;)
さてGT12~・・って、ただただ古びたお城を巡る旅と思ってますよね?(苦笑)
今回は、特に暇でウンチク多めなので~^^;
戦国やお城好き以外はもうここでサヨナラw
2016年・・熊本地震。
奇しくも?その地震により、熊本の象徴である「熊本城」が
実はコンクリの「外観復元天守」だったんだ・・って事を、むき出しの鉄骨で再認識された方も多いのでは・・(;´Д`)
熊本に限らず・・?
各県の名物として建っているお城(代表的な外観復元は、名古屋や広島など)はCR(鉄筋コンクリート)製・・。
全盛期には大小3000あまりあった城や天守が一国一城令や廃城令、戦争なんで消失・・
生き残った城や、消失後に再建された城もありますよね?なぜそうなったか・・
おおまかに流れとしたら~このような感じ?^^;
そして・・唯一生き残ってる「歴史的遺産」の「GT(現存天守)12城」にも
全てに「ドラマ」があるのです・・(苦笑)
過去、その城が歴史の舞台でどういう役回りだったのか?
歴代城主や、様々な逸話・・
今もその地に残る理由・・などなど(*´∀`*)
事前に調べて、その思いも込めて見て回る・・だから「見れた感動もひとしお」なのですよ^^;
そして?今は天守や櫓は残っていなくとも・・・過去にその地で行われた歴史的逸話や史実?
そんな城郭跡もあわせて見てまわるからさらに充実している・・それができるのも~
気軽に車中泊できて・・どこへでも軽快に走ってくれる「相棒」♪
N-VANがいてくれるから・・(*´∀`*)で?今回、備中は「備中松山城」がメインですがw
オプションで・・?(笑)
○岡山のシンデレラガールの練習ゴルフ場
○タカゴリラ実家へのピンポンダッシュ
○岡山城
○備中高松城
などなど考慮しながら~時間の限り、いろいろ見て回れました♪
で・・「備中高松城」と言えばw
織田信長が天下取り目前で~京都「本能寺の変」で横死・・( 」´0`)」
その時、ちょうど~?中国地方を攻めてた羽柴秀吉が~まさに!!
官兵衛の奇策!巨大な堤防で城を囲い~川を流し込んで水没させるというww
あの有名な「備中高松城水攻め」の真っ最中!!
これって・・すごい戦法ですよね( ̄◇ ̄;)カネガカカッテルw
これが当地にある堤防の案内板ですが・・・高さ8m以上!・・さらに記述によれば・・
この堤防は門前村(現:JR吉備線足守駅付近)から蛙ヶ鼻(石井山南麓)までの東南約4キロメートル、高さ8メートル、
底部24メートル、上幅12メートルにわたる堅固な長堤を造り、足守川の水をせきとめようとするものであった。
こんな巨大土木工事をわずか12日で・・( ̄◇ ̄;)ホンマカイナ!?
しかも費用はお米6万3500石(約9525トン分)、お金63万5000貫(約635億円)!*諸説あり
地元の農民に工事を手伝わせたり、土俵1つをお米・1升、お金100文(約1万円)と交換していたらしいです(@_@;)
秀吉軍が金持ちなのか・・?織田軍全体の予算なのかは知りませんが・・(苦笑)
この水攻めは、単なる兵糧攻めよりも相手を早く追い詰めるのですがw
この時、さらに急いで京へ引き返さねばならない羽柴軍には、早急な和睦が必要になり・・(;´Д`)
まず、現在の高松城址は公園化されてて、この時ちょうどお祭り?のようなものが開催された後のようで^^;
駐車場近くには、この地の地形図とそれを取り囲んだ羽柴軍と毛利軍の各武将の位置関係が・・
唯一の建物?(笑)櫓・・ではなく蔵的建造物(もちろん昭和?平成くらいに建ったと思われる)
「備中高松城資料館」
開館時刻は10:00〜15:00、休館日:月曜
中には合戦のジオラマや航空写真、この地での研究資料等が飾られたり
解説のビデオなんかが見れます(武具や遺跡品展示はめぼしいモノはないです)
パンフも貰えます♪
公園内は、残念ながら当時を思い起こす遺構はありません(苦笑)
しかし、当地が今も湿地帯であること感じさせる・・
湿地で池、水溜り・・その上を歩ける「木道」があり・・蓮池?
なんでも、この蓮は?
この地では「宗治蓮」と呼ばれているらしいです^^;
この「宗治」こそ・・そう、高松城主の「清水宗治」の名から付いたもの・・。
「軍師官兵衛」や秀吉の大河なんかを見てる人なら、中国大返し前のこのシーンは必須
なので~よくご存知と思いますがw
この和睦にあたり、羽柴3万、毛利4万、あと城兵いれると7万5千人!?
そんな「国立競技場クラス」の大観衆に見守られながらw
有利な条件で和睦したいが・・忠臣、宗治の命は見捨てられない毛利方・・
一刻も早く和睦し、京に取って返したい秀吉方・・・
双方の思わくに、城兵の命を救いたい宗治は~
潔く切腹をして、秀吉からも讃えられ・・この件以降、武士の切腹が「名誉ある死」となった。
この時代・・・
裏切り、寝返りなどが当たり前の「戦国末期」
織田方だった荒木村重などは・・諸事情あるにせよ毛利に寝返り・・
有岡城で籠城した際にも・・最終的には、家族や城兵全て残して自分だけが逃亡!?(汗)
そのため、開城後には・・見せしめのため、村重の家族、重臣、家臣の妻子に至るまで670名が処刑されるという(;´Д`)
そんな時代に・・主家への義も貫き、家臣の多くの犠牲も出さずに自らが自害するという・・・( ;∀;)
義の武将、宗治の「侍魂」に・・供養塔に手を合わさせて頂きました(南無~)
で~いよいよ次なる目的地は~!!(爆)
天空の城・・・「備中高松城」(爆)
伊予(愛媛)にも現存‘松山城’ってあるけど・・・( ̄▽ ̄;)ヤヤコシイイナァ・・
この城・・「臥牛山」という山に築かれた「山城」
この臥牛山ってのが、各尾根に
「大松山(おおまつやま)・小松山(こまつやま)・天神丸山(てんじんのまるやま)・前山(まえやま)」で構成されてて
小松山の場所にあるのが「備中松山城」、当地では「小松山城」とも呼ばれ、大松山城址もあります(天守はなし)
この地形を見ても、冬の時期に雲海が起こりやすいのがわかりますよね!(笑)
山に囲まれた地形で、川がある高梁市街地の「たまり」に向けて雲海や濃霧が入り込み・・
うまく山頂部分が雲海から頭を出すときが「シャッターチャンス」って事です^^;
ここは、かなり有名&アクセスがいい(駐車場から徒歩1分)ので~
この日もたくさんの方が!(@_@;)
その中で~ちょうど見てみたかった同じく雲海に浮かぶ城「越前大野城」でも
写真を撮られたことがあるw
大阪からお越しの方に、いろんな写真を見せて頂きました♪
で、その方曰く・・ここ(備中松山城)は、地形的にも~すごく見れる確率高いそうです^^;
それに比べて??
この「備中松山城」と並んで「日本三大天空の城」と呼ばれてる・・
越前(福井)にある「越前大野城」!!
写真を見てもわかるように~備中松山城よりも、天守が山頂から「飛び出て」いて
「雲海に浮かぶ天守」では、こちらのうほうがスゴイ!って思いますよね^^;
実はこれ・・復興天守なんです^^;
実際に、現在と同じ複合連結式2重2階の天守はあった記録はありますが・・(汗)
資料に乏しく、同時期の天守を真似て昭和43年に推測でCR製で建設された「復興天守」と呼ばれる城・・。
これで木造外観復元なら~・・なんて思っちゃいけませんよね( ̄▽ ̄;)ヨクバリカ?
さて・・
では、なぜこの越前大野城の雲海写真が「難しい」のか・・
脱線ついでに^^;
山から雲海が平野に向けて流れるのに・・
流れ道にある山の山頂の「備中高松城」とは違い~流れ込んだ「たまり(平野)」の中にポツンと
コブ山のようにある「亀山(249m)」の山頂にあるため・・
このたまりの平野部に全て雲海や濃霧が掛かり・・しかも250mの山頂部分だけがポッカリ頭を出さないといけない!?
同じように、三大天空の城の「竹田城」も見てみると・・?
「日本のマチュピチュ」と称され・・
「天空の城(城郭)」ブームの牽引となった兵庫にある「竹田城址」
こちらも・・?
備中松山城と同じく~山に囲まれ、川のある「たまり(平野)」に向けて雲海が起こりやすく・・
雲がたまった平野の中のコブ山にあるのではなく・・雲海が流れていく高い山の山頂(351m)にあるため
お城がポツンと出やすいのでしょうね
ちなみに備中松山城も標高が430mと高いのでポツンと頭が出やすい・・・(笑)
こちらも、雲海の竹田城址を望む「第一展望台」がありますが~
駐車場からは、かなり山道を歩くという事(;´Д`)
越前大野城も山を登る感覚の坂をかなり登るらしい・・・
ただ?竹田城址は地形的にも「高確率」で見れるでしょうね・・・
展望台の距離が遠い、地形が雲海が起こりにくい(城がいい感じに頭を出すという意味)
そう言う意味で・・一番各率が低くてしんどいのが「越前大野城」
一番アクセスも良くて、高確率なのが「備中松山城」ということになりますよね^^;
そろそろ本題^^;
では、今回の雲海チャレンジから~
まずは標識に従って「展望台」へ
駐車場スペースとしては4~5台?でもラインもないので・・・?
今回は~・・帰りの時見たら!?ものすごい違法駐車??確実に駐車場に停めれたのは~
前日の夕方5時すぎ!?から車中泊したからでして( ̄▽ ̄;)コワカッタケドww
だってここは・・?
綺麗なトイレが3個もあるので(凄いよね!)
でも、電気なんかはないので^^;ヘッ電必須ですw
駐車場からすぐに展望台登り口・・急坂ではなく、楽です^^;
途中、サル出没注意の看板(;´Д`)夜中には、猿の鳴き声はなく猫?と鹿の声が多かったです・・(苦笑)
ほどなく展望台♪
ここで注意ですが~^^;光量が少ない早朝の撮影・・皆さん、立派な三脚でお越しですがw
ひっきりなしに人が階段を登ってきて、展望台が揺れて・・( ̄◇ ̄;)ホンノスコシダケドネ・・
おそらくみんな、シャッターを数秒開いて撮ってるので~・・そのシャッター開放時間の間にカメラが揺れて
ブレると思います・・人が多い場合は、手持ちで少し明るくなってから撮るようになるのかな?と(汗)
そして・・場所キープのためには「できるだけ早く」が鉄則^^;
私は4時前でトップでしたがwそのあと続々と・・5時半では遅いかな?( ̄▽ ̄;)コンカイデハネ・・
雲がないときは、麓の高梁市街地の夜景が見えます(綺麗でした)
やがて~・・・
もっと濃くて沈むまさに「水面」のようなモクモクの雲海~・・がベストなんでしょうが?^^;
今回は「濃霧」に近い雲海(;´Д`)・・でも!?
三時間以上粘って・・・
なんとか「それっぽい」天空の城・・・撮れました♪
まあ、確率高いとは言え?九州から600kmかけて車で来て(;´Д`)
雨でも降ったら真っ白とか、レンズも自分も濡れたりして・・・そう言う意味ではラッキーでした^^;
さて、ではお城へ向かい~その前に麓で「朝食」を
って、早朝8時前だし?^^;
地元の名物料理~って・・岡山って「桃」や「シャインマスカット」?あとは「きびだんご」くらいしかイメージなくて?
しかも早朝・・・開いてた店は~馴染みの店!おお!大分が本社のファミレス♪
「ジョイフル」やん~で、いつも地元で食ってる定食を岡山でも食うという・・(苦笑)
で、備中松山城へのアクセスは?
車では高梁市街地から松山城へ・・麓に「城見橋駐車場」
そこから徒歩でバスが走る「ふいご峠」を経て、最後には600mの「完全な登山道」のような登城路。
バスの発着場にこの建物が♪
今回は、その日にまた600kmの帰路を考えw疲労防止のためバスでバス停留所まで・・
ここからたかが600mって思ってたら?
おそらく紅葉も綺麗なのでしょうが~今回は少し早くまだ緑( 」´0`)」
紅葉トレッキングもできそうな~なかなかの勾配の石段が多めの登山道で・・
突然、開けたと同時に立派な石垣の曲輪!
かなり大きな石も積んであり~「どうやってここまで運んだんだ?」って思いました^^;
そしてさらに登ると・・標高430m!!
現存天守として・・「日本一高い場所にある天守」である「備中松山城」がようやく見えてきました♪
天守櫓の前の路地門の前の二の丸曲輪・・・
当然ですが、お土産物屋などはありませんので~お土産等は、バスの停留所でお買い求め下さい^^;
いよいよ・・天守へ
五の平櫓と六の平櫓に挟まれた路地門をくぐると
この向きの松山城が一般的ですよね^^;
二重二階の天守・・
付櫓?から入城します^^;
城内は、思ったよりも広くて立派?^^;
一番特徴的だったのは・・
囲炉裏!!
天守の内部に囲炉裏とは・・・ここで生活してた?城というより館のような・・(笑)
2階部分に登って見ても広くて立派!
ただ?望楼型・・ではあるものの廻縁などがないため?
格子窓から望む山頂の景色は~逆に曲輪などの方がよく見えました^^;
まあ、城自体が山頂にあるので・・それに秋~冬は寒いのでしょうね?
優雅に城下を望む・・って感じより、攻められた時の「詰城」のような実戦的な作りに感じました♪
天守も現存ですから~櫓も当然、現存建築♪
天守からも見えてた「二重櫓」も天守同様、重要文化財(国宝ではない)
同じく重要文化財で~「真田丸オープニング」にも使われた?石垣群が~
この堅固な山城の特徴でしょうね・・
では、最後にウンチクで^^;
「日本三大天空の城」(竹田城・備中松山城・越前大野城)であり
「日本三大山城」(岩村城・高取城・備中松山城)のこの堅固な山城・・
実は、古くは鎌倉・・戦国期も備中の覇権を狙う宇喜多や毛利(小早川)から度々攻撃を受け落城もしてます(汗)
しかしながら~・・この城が最も逸話で関わりがあったのは江戸時代^^;
城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と入れ替わり、最後の城主は板倉氏と移り変わったのですがw
一番有名なのは水谷家がお家断絶後は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となった事。
そう・・あの「赤穂浪士の討ち入り」で有名な~
・・あの「大石内蔵助」です(笑)
通称が「内蔵助」なんですね^^;
内蔵助は、城の引渡し後後任の安藤重博が新城主となるまでの間の1年半あまり
この山城の管理をしていたそうで(笑)
この内蔵助が登城する際、山道で~
「大石内蔵助腰掛け石」なる・・内蔵助が休憩した石?があるらしい・・・(苦笑)
今回は、時間なく見れませんでした^^;
今回の備中の2城・・
奇しくも「高松城」は~毛利のため、城兵のために潔く散った「清水宗治」
そして、まあ直接関係はないとしても・・・?
城番として1年半・・この城で過ごし・・最後は当主の仇討ちで果てた忠臣の「大石内蔵助」
いずれも、主家に対して義を尽くした「忠臣」の話・・・。
世知辛い戦国の世の中で・・裏切らず、主家の為、人の為に散った侍魂・・・
そんな武士の気概を感じられた「備中の旅」でした♪
追記
せっかくなので~「日本三大天空の城」
イメージのドローン貼っときます^^;
まずは今回の「備中松山城」(雲海なし)
「備中松山城」(雲海ドローン)
続いて「越前大野城」(雲海ドローン)
「竹田城」(雲海ドローン)
こんなの見せられたら?・・・そりゃ~行きたくなるっしょ?^^;
(*現在、ドローンは飛行禁止多いです・ドローン撮影はご注意下さい)
オワリ
俺もどっか行きたいな~・・なんて思ってたら?(苦笑)
季節の変わり目・・お袋が体調崩してダウン( ;∀;)
大人しくしてろよ・・ってことかな?(--;)で、暇になったのでw
新シリーズGK(現存建築)天守を巡る・・・って、今回からGT(現存天守)へ変更!!( ̄▽ ̄;)スマンナ・・
ま、意味は一緒だが~現存建築って言うと、天守以外のいろんな櫓にも言えるしw
このシリーズは現存建築の「天守櫓」を巡るのを主目的としてるのでw
これ移行、カテゴリーも含め、GT(現存天守)12と改めます(過去記事はそのまま^^;)
さてGT12~・・って、ただただ古びたお城を巡る旅と思ってますよね?(苦笑)
今回は、特に暇でウンチク多めなので~^^;
戦国やお城好き以外はもうここでサヨナラw
2016年・・熊本地震。
奇しくも?その地震により、熊本の象徴である「熊本城」が
実はコンクリの「外観復元天守」だったんだ・・って事を、むき出しの鉄骨で再認識された方も多いのでは・・(;´Д`)
熊本に限らず・・?
各県の名物として建っているお城(代表的な外観復元は、名古屋や広島など)はCR(鉄筋コンクリート)製・・。
全盛期には大小3000あまりあった城や天守が一国一城令や廃城令、戦争なんで消失・・
生き残った城や、消失後に再建された城もありますよね?なぜそうなったか・・
おおまかに流れとしたら~このような感じ?^^;
そして・・唯一生き残ってる「歴史的遺産」の「GT(現存天守)12城」にも
全てに「ドラマ」があるのです・・(苦笑)
過去、その城が歴史の舞台でどういう役回りだったのか?
歴代城主や、様々な逸話・・
今もその地に残る理由・・などなど(*´∀`*)
事前に調べて、その思いも込めて見て回る・・だから「見れた感動もひとしお」なのですよ^^;
そして?今は天守や櫓は残っていなくとも・・・過去にその地で行われた歴史的逸話や史実?
そんな城郭跡もあわせて見てまわるからさらに充実している・・それができるのも~
気軽に車中泊できて・・どこへでも軽快に走ってくれる「相棒」♪
N-VANがいてくれるから・・(*´∀`*)で?今回、備中は「備中松山城」がメインですがw
オプションで・・?(笑)
○岡山のシンデレラガールの練習ゴルフ場
○タカゴリラ実家へのピンポンダッシュ
○岡山城
○備中高松城
などなど考慮しながら~時間の限り、いろいろ見て回れました♪
で・・「備中高松城」と言えばw
織田信長が天下取り目前で~京都「本能寺の変」で横死・・( 」´0`)」
その時、ちょうど~?中国地方を攻めてた羽柴秀吉が~まさに!!
官兵衛の奇策!巨大な堤防で城を囲い~川を流し込んで水没させるというww
あの有名な「備中高松城水攻め」の真っ最中!!
これって・・すごい戦法ですよね( ̄◇ ̄;)カネガカカッテルw
これが当地にある堤防の案内板ですが・・・高さ8m以上!・・さらに記述によれば・・
この堤防は門前村(現:JR吉備線足守駅付近)から蛙ヶ鼻(石井山南麓)までの東南約4キロメートル、高さ8メートル、
底部24メートル、上幅12メートルにわたる堅固な長堤を造り、足守川の水をせきとめようとするものであった。
こんな巨大土木工事をわずか12日で・・( ̄◇ ̄;)ホンマカイナ!?
しかも費用はお米6万3500石(約9525トン分)、お金63万5000貫(約635億円)!*諸説あり
地元の農民に工事を手伝わせたり、土俵1つをお米・1升、お金100文(約1万円)と交換していたらしいです(@_@;)
秀吉軍が金持ちなのか・・?織田軍全体の予算なのかは知りませんが・・(苦笑)
この水攻めは、単なる兵糧攻めよりも相手を早く追い詰めるのですがw
この時、さらに急いで京へ引き返さねばならない羽柴軍には、早急な和睦が必要になり・・(;´Д`)
まず、現在の高松城址は公園化されてて、この時ちょうどお祭り?のようなものが開催された後のようで^^;
駐車場近くには、この地の地形図とそれを取り囲んだ羽柴軍と毛利軍の各武将の位置関係が・・
唯一の建物?(笑)櫓・・ではなく蔵的建造物(もちろん昭和?平成くらいに建ったと思われる)
「備中高松城資料館」
開館時刻は10:00〜15:00、休館日:月曜
中には合戦のジオラマや航空写真、この地での研究資料等が飾られたり
解説のビデオなんかが見れます(武具や遺跡品展示はめぼしいモノはないです)
パンフも貰えます♪
公園内は、残念ながら当時を思い起こす遺構はありません(苦笑)
しかし、当地が今も湿地帯であること感じさせる・・
湿地で池、水溜り・・その上を歩ける「木道」があり・・蓮池?
なんでも、この蓮は?
この地では「宗治蓮」と呼ばれているらしいです^^;
この「宗治」こそ・・そう、高松城主の「清水宗治」の名から付いたもの・・。
「軍師官兵衛」や秀吉の大河なんかを見てる人なら、中国大返し前のこのシーンは必須
なので~よくご存知と思いますがw
この和睦にあたり、羽柴3万、毛利4万、あと城兵いれると7万5千人!?
そんな「国立競技場クラス」の大観衆に見守られながらw
有利な条件で和睦したいが・・忠臣、宗治の命は見捨てられない毛利方・・
一刻も早く和睦し、京に取って返したい秀吉方・・・
双方の思わくに、城兵の命を救いたい宗治は~
潔く切腹をして、秀吉からも讃えられ・・この件以降、武士の切腹が「名誉ある死」となった。
この時代・・・
裏切り、寝返りなどが当たり前の「戦国末期」
織田方だった荒木村重などは・・諸事情あるにせよ毛利に寝返り・・
有岡城で籠城した際にも・・最終的には、家族や城兵全て残して自分だけが逃亡!?(汗)
そのため、開城後には・・見せしめのため、村重の家族、重臣、家臣の妻子に至るまで670名が処刑されるという(;´Д`)
そんな時代に・・主家への義も貫き、家臣の多くの犠牲も出さずに自らが自害するという・・・( ;∀;)
義の武将、宗治の「侍魂」に・・供養塔に手を合わさせて頂きました(南無~)
で~いよいよ次なる目的地は~!!(爆)
天空の城・・・「備中高松城」(爆)
伊予(愛媛)にも現存‘松山城’ってあるけど・・・( ̄▽ ̄;)ヤヤコシイイナァ・・
この城・・「臥牛山」という山に築かれた「山城」
この臥牛山ってのが、各尾根に
「大松山(おおまつやま)・小松山(こまつやま)・天神丸山(てんじんのまるやま)・前山(まえやま)」で構成されてて
小松山の場所にあるのが「備中松山城」、当地では「小松山城」とも呼ばれ、大松山城址もあります(天守はなし)
この地形を見ても、冬の時期に雲海が起こりやすいのがわかりますよね!(笑)
山に囲まれた地形で、川がある高梁市街地の「たまり」に向けて雲海や濃霧が入り込み・・
うまく山頂部分が雲海から頭を出すときが「シャッターチャンス」って事です^^;
ここは、かなり有名&アクセスがいい(駐車場から徒歩1分)ので~
この日もたくさんの方が!(@_@;)
その中で~ちょうど見てみたかった同じく雲海に浮かぶ城「越前大野城」でも
写真を撮られたことがあるw
大阪からお越しの方に、いろんな写真を見せて頂きました♪
で、その方曰く・・ここ(備中松山城)は、地形的にも~すごく見れる確率高いそうです^^;
それに比べて??
この「備中松山城」と並んで「日本三大天空の城」と呼ばれてる・・
越前(福井)にある「越前大野城」!!
写真を見てもわかるように~備中松山城よりも、天守が山頂から「飛び出て」いて
「雲海に浮かぶ天守」では、こちらのうほうがスゴイ!って思いますよね^^;
実はこれ・・復興天守なんです^^;
実際に、現在と同じ複合連結式2重2階の天守はあった記録はありますが・・(汗)
資料に乏しく、同時期の天守を真似て昭和43年に推測でCR製で建設された「復興天守」と呼ばれる城・・。
これで木造外観復元なら~・・なんて思っちゃいけませんよね( ̄▽ ̄;)ヨクバリカ?
さて・・
では、なぜこの越前大野城の雲海写真が「難しい」のか・・
脱線ついでに^^;
山から雲海が平野に向けて流れるのに・・
流れ道にある山の山頂の「備中高松城」とは違い~流れ込んだ「たまり(平野)」の中にポツンと
コブ山のようにある「亀山(249m)」の山頂にあるため・・
このたまりの平野部に全て雲海や濃霧が掛かり・・しかも250mの山頂部分だけがポッカリ頭を出さないといけない!?
同じように、三大天空の城の「竹田城」も見てみると・・?
「日本のマチュピチュ」と称され・・
「天空の城(城郭)」ブームの牽引となった兵庫にある「竹田城址」
こちらも・・?
備中松山城と同じく~山に囲まれ、川のある「たまり(平野)」に向けて雲海が起こりやすく・・
雲がたまった平野の中のコブ山にあるのではなく・・雲海が流れていく高い山の山頂(351m)にあるため
お城がポツンと出やすいのでしょうね
ちなみに備中松山城も標高が430mと高いのでポツンと頭が出やすい・・・(笑)
こちらも、雲海の竹田城址を望む「第一展望台」がありますが~
駐車場からは、かなり山道を歩くという事(;´Д`)
越前大野城も山を登る感覚の坂をかなり登るらしい・・・
ただ?竹田城址は地形的にも「高確率」で見れるでしょうね・・・
展望台の距離が遠い、地形が雲海が起こりにくい(城がいい感じに頭を出すという意味)
そう言う意味で・・一番各率が低くてしんどいのが「越前大野城」
一番アクセスも良くて、高確率なのが「備中松山城」ということになりますよね^^;
そろそろ本題^^;
では、今回の雲海チャレンジから~
まずは標識に従って「展望台」へ
駐車場スペースとしては4~5台?でもラインもないので・・・?
今回は~・・帰りの時見たら!?ものすごい違法駐車??確実に駐車場に停めれたのは~
前日の夕方5時すぎ!?から車中泊したからでして( ̄▽ ̄;)コワカッタケドww
だってここは・・?
綺麗なトイレが3個もあるので(凄いよね!)
でも、電気なんかはないので^^;ヘッ電必須ですw
駐車場からすぐに展望台登り口・・急坂ではなく、楽です^^;
途中、サル出没注意の看板(;´Д`)夜中には、猿の鳴き声はなく猫?と鹿の声が多かったです・・(苦笑)
ほどなく展望台♪
ここで注意ですが~^^;光量が少ない早朝の撮影・・皆さん、立派な三脚でお越しですがw
ひっきりなしに人が階段を登ってきて、展望台が揺れて・・( ̄◇ ̄;)ホンノスコシダケドネ・・
おそらくみんな、シャッターを数秒開いて撮ってるので~・・そのシャッター開放時間の間にカメラが揺れて
ブレると思います・・人が多い場合は、手持ちで少し明るくなってから撮るようになるのかな?と(汗)
そして・・場所キープのためには「できるだけ早く」が鉄則^^;
私は4時前でトップでしたがwそのあと続々と・・5時半では遅いかな?( ̄▽ ̄;)コンカイデハネ・・
雲がないときは、麓の高梁市街地の夜景が見えます(綺麗でした)
やがて~・・・
もっと濃くて沈むまさに「水面」のようなモクモクの雲海~・・がベストなんでしょうが?^^;
今回は「濃霧」に近い雲海(;´Д`)・・でも!?
三時間以上粘って・・・
なんとか「それっぽい」天空の城・・・撮れました♪
まあ、確率高いとは言え?九州から600kmかけて車で来て(;´Д`)
雨でも降ったら真っ白とか、レンズも自分も濡れたりして・・・そう言う意味ではラッキーでした^^;
さて、ではお城へ向かい~その前に麓で「朝食」を
って、早朝8時前だし?^^;
地元の名物料理~って・・岡山って「桃」や「シャインマスカット」?あとは「きびだんご」くらいしかイメージなくて?
しかも早朝・・・開いてた店は~馴染みの店!おお!大分が本社のファミレス♪
「ジョイフル」やん~で、いつも地元で食ってる定食を岡山でも食うという・・(苦笑)
で、備中松山城へのアクセスは?
車では高梁市街地から松山城へ・・麓に「城見橋駐車場」
そこから徒歩でバスが走る「ふいご峠」を経て、最後には600mの「完全な登山道」のような登城路。
バスの発着場にこの建物が♪
今回は、その日にまた600kmの帰路を考えw疲労防止のためバスでバス停留所まで・・
ここからたかが600mって思ってたら?
おそらく紅葉も綺麗なのでしょうが~今回は少し早くまだ緑( 」´0`)」
紅葉トレッキングもできそうな~なかなかの勾配の石段が多めの登山道で・・
突然、開けたと同時に立派な石垣の曲輪!
かなり大きな石も積んであり~「どうやってここまで運んだんだ?」って思いました^^;
そしてさらに登ると・・標高430m!!
現存天守として・・「日本一高い場所にある天守」である「備中松山城」がようやく見えてきました♪
天守櫓の前の路地門の前の二の丸曲輪・・・
当然ですが、お土産物屋などはありませんので~お土産等は、バスの停留所でお買い求め下さい^^;
いよいよ・・天守へ
五の平櫓と六の平櫓に挟まれた路地門をくぐると
この向きの松山城が一般的ですよね^^;
二重二階の天守・・
付櫓?から入城します^^;
城内は、思ったよりも広くて立派?^^;
一番特徴的だったのは・・
囲炉裏!!
天守の内部に囲炉裏とは・・・ここで生活してた?城というより館のような・・(笑)
2階部分に登って見ても広くて立派!
ただ?望楼型・・ではあるものの廻縁などがないため?
格子窓から望む山頂の景色は~逆に曲輪などの方がよく見えました^^;
まあ、城自体が山頂にあるので・・それに秋~冬は寒いのでしょうね?
優雅に城下を望む・・って感じより、攻められた時の「詰城」のような実戦的な作りに感じました♪
天守も現存ですから~櫓も当然、現存建築♪
天守からも見えてた「二重櫓」も天守同様、重要文化財(国宝ではない)
同じく重要文化財で~「真田丸オープニング」にも使われた?石垣群が~
この堅固な山城の特徴でしょうね・・
では、最後にウンチクで^^;
「日本三大天空の城」(竹田城・備中松山城・越前大野城)であり
「日本三大山城」(岩村城・高取城・備中松山城)のこの堅固な山城・・
実は、古くは鎌倉・・戦国期も備中の覇権を狙う宇喜多や毛利(小早川)から度々攻撃を受け落城もしてます(汗)
しかしながら~・・この城が最も逸話で関わりがあったのは江戸時代^^;
城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と入れ替わり、最後の城主は板倉氏と移り変わったのですがw
一番有名なのは水谷家がお家断絶後は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となった事。
そう・・あの「赤穂浪士の討ち入り」で有名な~
・・あの「大石内蔵助」です(笑)
通称が「内蔵助」なんですね^^;
内蔵助は、城の引渡し後後任の安藤重博が新城主となるまでの間の1年半あまり
この山城の管理をしていたそうで(笑)
この内蔵助が登城する際、山道で~
「大石内蔵助腰掛け石」なる・・内蔵助が休憩した石?があるらしい・・・(苦笑)
今回は、時間なく見れませんでした^^;
今回の備中の2城・・
奇しくも「高松城」は~毛利のため、城兵のために潔く散った「清水宗治」
そして、まあ直接関係はないとしても・・・?
城番として1年半・・この城で過ごし・・最後は当主の仇討ちで果てた忠臣の「大石内蔵助」
いずれも、主家に対して義を尽くした「忠臣」の話・・・。
世知辛い戦国の世の中で・・裏切らず、主家の為、人の為に散った侍魂・・・
そんな武士の気概を感じられた「備中の旅」でした♪
追記
せっかくなので~「日本三大天空の城」
イメージのドローン貼っときます^^;
まずは今回の「備中松山城」(雲海なし)
「備中松山城」(雲海ドローン)
続いて「越前大野城」(雲海ドローン)
「竹田城」(雲海ドローン)
こんなの見せられたら?・・・そりゃ~行きたくなるっしょ?^^;
(*現在、ドローンは飛行禁止多いです・ドローン撮影はご注意下さい)
オワリ