鎌倉殿考察④征夷大将軍について
ついに!?
「吾妻鏡」に書かれていて~「頼朝の死」に因果関係があるとされる?
「相模川に架かる橋の落成式」に行った帰りの頼朝の「落馬」シーンが放送された!
「将軍の死因」について・・
北条氏(寄り)の鎌倉幕府についての歴史史書「吾妻鏡」には・・明記はされていない?
てか、その期間(死の3年前後?)がポッカリ抜けてるらしい・・( ;´Д`)
他の公家などが書いた同時代の「頼朝の死」について触れた史書から
今日まで様々な説を研究者の方があげてきて~
①落馬説(落馬によるなんらかの外傷からくる死亡)
②病死説(脳梗塞や糖尿病による病から落馬、のちに悪化して死亡)
この二つが有力と昨今はされていますが~そこはほれ?三谷演出だし?(;´∀`)
③亡霊説(頼朝が葬った一族(義経や範頼、木曽義仲)や他多数の恨みで呪い殺される?)
④暗殺説(主に北条氏?その他、頼朝を良く思わない勢力(坂東武者・公家・天皇)が刺客にて暗殺)
北条義時の最初の妻で北条泰時の母に「八重姫」を採用したり?
源平合戦も、昨今の最新研究を参考にしたり、
かと思えば~通説を採用したり‥(苦笑)
過去の大河「真田丸」においても~
二条城での家康、秀頼対談の後の「加藤清正を毒殺」説を採用(笑)
映画「清須会議」では~信雄と信孝の信長(信忠)の跡目争いで官兵衛に吹き矢吹かせたり!?
かなり大胆な説を採用してきただけに~③や④!?あるかも~・・って見てましたがww
実際、それまでに頼朝の仕打ちに義時が「毒殺」?もあるか・・とか、思わせるような
感じもあったし・・でも?
次回以降、わかるでしょうが~・・頼朝が「信じられる数少ない人」のはずの義時は?
結果として、頼朝の願いと真反対な行動に出るのが「史実」ですので‥(苦笑)
「二代目 将軍(征夷大将軍)」の座・・・そして、それを取り巻く「権力争い」
今後も、通説を採用したり新説を使ったり?どうなるか・・
歴史を知ってても楽しみは尽きませんねw
でも・・やっぱりちょっと残念なのは~
まあ、史実だし?
これまで残虐な謀殺や、悲しいシーンも多かったけど・・
ここ最近は、「富士の巻狩り」でのダメな頼家への忖度?ハリボテ鹿の接待狩りやら~(笑)
全成(頼朝の弟の僧)の「テキトーな厄除けの条件」を頑なに守る頼朝やw
女に手が早くなった頼家を褒める「エロオヤジ」などを好演し、
好感度を下げまくって来た頼朝役の「大泉洋」(笑)
一瞬!?
今回は「頼朝は餅を喉に引っ掛けて死亡説!?」って驚くくらい・・
おもろかった「宴会シーン」(笑)あれは、大泉にしかできない「顔芸」だもんね・・
それが見れなくなるのは‥正直さみし~!!ですね( ;∀;)
さて、ドラマ考察?はここまででで~脱線考察?ウンチク?
そもそも・・・「征夷大将軍」ってなに?
また、「その将軍が開く幕府」って・・・いったいなんぞや?ってウンチク?
https://inazou10473.naturum.ne.jp/e3463918.html
考察①でも書きましたがw
元々、武士とは~貴族や皇族が持つ「荘園」という私有地の「ボディーガード」
身分は低いものが多かったのですが~皇族から外れて「武家」を開いたとされる
「源氏」や「平家」は・・その武士でも「身分が高い」と武士の中でも崇められて
でも、政治をつかさどる「朝廷」では~藤原氏の摂関政治の時代。
平安の時代の終わりになって、平清盛の躍進によって大きく勢力を強め
「太政大臣」という「公家の官位」を得て、政治を牛耳るようになって・・
でも?平家は、京にあってあくまでも「朝廷内」での政治だったため?
既存の「公家」の反発や、天皇との対立・・また、平家以外の
武士は虐げれれてたので( ;´Д`)特に「東国武士」は不満も多く・・
そこで「源氏の棟梁」として担がれた?いや、昨今の研究では~
単なる流人(犯罪者)の立場の頼朝は?関東で力を付けて行く上で
かなりの嘘やペテン(大ぼら)を使ってのし上がったようでして^^;
本来なら、先に京に入った「木曽義仲」が「源氏の棟梁」であってよかった?
ま、本当に全ての「源氏から敬われた棟梁」となったのは・・結局、
鎌倉に幕府を開いた「征夷大将軍」になったので~後世の人が語り継いだからでw
結局さ~?さっきから「征夷」、「誠意」ってなに??・・・「誠意大将軍」かよっ!?(爆)
※もはや40代以上しか知らない「誠意大将軍」肖像権の関係で・・詳しくはググってね(爆)
あ・・その誠意大将軍、いやいや、「征夷大将軍」ってのは~?
朝廷から離れた「朝敵を征伐しにいく軍の大将の官職」で~
その大将が当地で敷く「陣営」を「幕で覆われた陣」の幕と~
その時に、天皇から指示を伺って行動してては間に合わないので?
幕府の「府」は政府の意味で~
政(まつりごと)についても全て「将軍の判断でやっていい」という事から
京より離れた鎌倉に、頼朝が関東地域の政(政治)をやる拠点を設けたことから
「幕府」となったそうです^^;
結果、頼朝は武力をかさに朝廷を威圧し、全国に配置した「守護、地頭」を
任命することにより~実質的な「全国の政を司った武士」となったわけで・・
公家の高い官位を目指した平清盛とは違う・・・って?ほんとそうなの?
今回のドラマ中でも?頼朝は、清盛と同じく娘を天皇に嫁がせ
「天皇の外戚」を狙っていました・・。
つまり?頼朝の野心が叶って「外戚」となれば~鎌倉の幕府がそのままの「独立政府」を
目指したか?怪しいのです・・・(;´Д`)
東国に武士にとって、頼朝が朝廷に入り源氏のみが厚遇されれば・・平家と何ら変わらない。
だから・・本当の意味の「武士の世の中」を画策したのは・・
この二代目、頼家の時代に作られた「有力御家人による13人の合議制」であったのかも?
その後、鎌倉幕府は元寇による武士への恩賞が払えず滅亡。
後に、京の室町に源氏の「足利氏」が幕府を開き「室町幕府」
そして応仁の乱以降の「戦国期」に~
織田信長・・・そして秀吉と「戦のない世の中」へ天下統一するための「政権(政府)」は
作られていきました(でも秀吉は、公家としての関白で政治を牛耳ったのですが)
そこで・・家康の「江戸幕府」
その「鎌倉」も「室町」も?由緒正しい「源氏」の棟梁が、歴代「征夷大将軍」として
幕政を行ってきたので~
本当に‥源氏?
三河の小大名の出の「家康」も~源氏の棟梁として「征夷大将軍」の官位を持ったようですね。
では、次回の考察は~北条対比企の勢力争いの決着!?辺りで・・^^;
続く