聖火リレー大分(2日目)と知覧武家屋敷&知覧城(動画付き)
男のグチブロガー魂西郷どんアイドル地元(臼杵の名勝地)知覧武家屋敷知覧城(山城)コロナウィルス
オリンピック聖火リレー・・ついに大分へ!(爆)
*二日目ダイジェスト動画を追記(爆)公式は消されたので更に追記(苦笑)
4月23日から大分県に入った「聖火リレー」~このところの感染拡大の影響で?
各県で有名人見たさの「観客の密」回避のため、軒並み「有名人の出走辞退」が増える中~(;´д`)
地元、大分の「さっしー」の走る24日のコースも大幅に変更?本人もSNS等で
「沿道は走らないし、絶対見れないので」と警告してましたが‥(~_~;)
大分市中心部の式典会場は、3メートルの白い「目隠し幕」が張られ^^;
外からの野次馬を完全にシャットアウトで、厳選された報道と観客のみが幕内へ
さっしーは?ほんの数十m?走って~聖火台へ点火!(苦笑)
まあ、大混雑の事態は回避できたようですが・・(;´д`)
でも会場近くには、多くの沿道で「密」状態が見られて‥(汗)
特に?・・お恥ずかしいながらw
メインのさっしー見たさの大分中心地以外で、特に密だったのは・・
我が臼杵市( ;´Д`)
実は、ここでは~・・(汗)
臼杵に古くから伝わる「古式泳法・山内流」の有志が~
なんと!「川を渡って聖火リレー」するというイベントがww
そりゃ~さ!もう生きてる間に「聖火」を肉眼で見れるチャンスなんて・・無いだろうし!
俺も~現地で見たかったけど!!ネットで見てって言ってたから守ったのに~
すっげー見物人で「密」じゃん!!
ま・・そこはしょうがない!感染だけは~みんな気を付けて~!!
古式泳法の先生…無事、川に聖火を付けて消すことなくw
泳ぎ切り「大役」を果たされましたw
しかしながら・・・(~_~;)
ここ数日の大分県の感染は「過去最高」を更新しまくり・・(汗)
特に密だった大分市と、我が臼杵市で?更なる「感染拡大」になっちゃったのでは!?と・・
かなり心配になる出来事でした・・。
では?4月10日に行った薩摩遠征の「知覧編」の動画からどうぞ♪
まずは~Sさん!貴重なお話、ありがとうございました!!
本当に・・急な訪問にも関わらず、快く案内をして頂けて‥
説明なしで自分だけで巡るのとは理解度が大違いでした!(感謝)
では、レポの前に~少し「知覧武家屋敷」などのご紹介(笑)
まずは~薩摩の江戸時代の状態から^^;
江戸時代は、いわゆる「鎖国時代」ではありましたが~
薩摩は、家康の許可を得て琉球へ武力制圧し琉球(沖縄)を事実上、支配する形の「貿易」?で
財を成していました・・これは、「西郷どん」でもありましたよね^^;
なので~琉球からの文化や影響は相当あったと思われます(笑)
特に「知覧武家屋敷群」に見られる「琉球庭園に通じる庭園」はその代表例でもあり
特に優れた7つの庭園を「国指定の名勝」とされているのですね!
あと、江戸時代の大きな政策として「一国一城制度」というのがあり~
70万石以上?の大国、薩摩であっても~本拠地、鹿児島に「鶴丸城」を持つのみしか許されません。
4人に1人が武士階級?な薩摩藩・・
表向きは、各地に「支城」は認められませんが^^;
独自の「外城(とじょう)制度」を構築してw
なんと110余りの外城に分割し、それぞれに武士を配置させて地方行政・防衛を行わせていて
「知覧」もその中のひとつの「外城」
南九州・・特に薩摩を中心とした「山城」の特徴として、姶良カルデラから噴出した砕流堆積物の「シラス台地」が
長い年月の浸食などで、垂直に切り立った断崖の要害地になる特性を生かして・・
山頂の平地に曲輪や屋敷を建てて防衛するというものがある。
独立した曲輪を〇〇城という名称で呼ぶらしい(例・弓場城や式部殿城、今城、児城など)
動画中で、Sさんにもご紹介頂いたが~
現在の武家屋敷群の場所と、知覧城(山城)がある位置関係はこんな感じ^^;
最初に知覧城の城下となった地区と、現在の武家屋敷の地区は異なっているらしいですね。
外城の街割りは「御仮屋(おかりや)を中心に発達」するらしいので
一番最後に御仮屋が置かれた城下が、現在の「武家屋敷群」辺りという事らしいです^^;
石垣の上に「茶の葉の木」などで目隠しされてあるのが特徴的(笑)
石垣は、比較的近代の大きな石の切込みタイプと・・?
川の丸い石を埋めてあるもの・・倒壊防止に途中に間柱的な石の柱がある。
また、通りに面したとこに「厠(トイレ)」を設置し、近所の噂話を盗み聞きする?工夫も^^;
大河ドラマでの撮影も、各所で行われた(笑)この通りも、撮影で使用w
民家建築文化で貴重な「知覧式二ッ家」の住宅も、移転して復元展示されてある。
まあ、動画版で詳しく説明しておりますので~
ここでも、写真のみ貼り付けるアーカイブで終わりたいと思います(笑)
では、次回でラスト!
復元された「鶴丸城・御楼門」からの「仙厳園」そして・・
大友家衰退の元凶と言われてる「耳川(高城川)の戦い」の足跡を辿る旅をご紹介予定^^;
続く