北陸遠征「岐阜城」(動画付き)
今回はいきなり動画!(爆)
どうでしたか?(苦笑)
では、レポ編(爆)

これは~現・岐阜城内にある「模型」(笑)
京の東の要所の美濃(現・岐阜県)にある稲葉山(現・金華山)329mのまさに山頂に築かれた
「難攻不落の名城」(笑)
ま、実際は?竹中半兵衛の謀反?や織田信長など「5回」も落城してるんだけどw

*これは江戸時代の「想像図?」天守のあった証拠の絵ではないらしいです^^;
始まりは鎌倉?室町時代からと言われ・・恐ろしく歴史は古い(笑)
戦国時代の斉藤道三の時代に本格整備されたとされる「典型的な山城」である‥(笑)
ここで少し脱線(*´ω`)
お城・・っていうのは、基本的には「戦争」の為の「防御施設」ですよね?(笑)
始まりは~まあ、小規模な「砦(とりで)」と呼ばれる出城のようなものから~
やがて大人数の争いになるにつれて「大規模化」していった・・
最盛期には二万五千(砦を含む)もあった城も、戦の規模や時代により変化していきました。
初期のお城として?(笑)

「山城」と言われる山にそのまま築くもの。
戦国初期は、勢力争いも小規模なので「低予算」で「早く出来て防御力が高い」この山城が多かった。

その多くは「登山道か!?」ってくらい狭くて細くて急な坂道で登城します( ;´Д`)
今でもキツイのに?重い甲冑を着た敵兵が攻めるにはかなり不利な状況・・。

つまり、山にこもって「籠城」するのが主目的です。もちろん、水や食料の備蓄が自陣も厳しいですが?
遠方から攻め込んだ敵陣も大軍の長期間な食料確保は厳しく・・城攻城戦においては有利でした。

とはいえ、領地が増えてくると兵数も領国統治においても山奥は不便・・
実際、信長も岐阜城と改名したころには麓の御殿が常時の場所で
非常時の「詰め城」的な使い方をしていたようですね~

近年、信長が岐阜城山麓に築いた御殿の調査が進んでいて城内にもこの予想CGありました(笑)
まあ、妻の「濃姫」の里だったので?立派な御殿を建ててあげたのかな~(よっ!男前!)
で~各地にも同じような「平時は麓の館、抗戦時に背後の詰め城」~ってセットが流行?^^;

しかし~古くからある山城は本当に山の中で・・(苦笑)
「天空の城」でもある備中松山城などは・・

山城・・しかも「現存建築で最高峰の場所」の臥牛山(がぎゅうざん)(430m)な為・・
そこに建つ天守と言うのは~

言ってもこのくらいが限度?^^;
他の現存との比較でみても・・

山城にしても平山城にしても、険しい山であればあるほど、高層な天守などは築けないものですが‥(汗)

そこは~??豊富な財力に、これから天下を狙う信長!
この険しい稲葉山(金華山)の城にも・・?
当時から、今のような豪華な高層天守を建てていた!?

実際、信長は岐阜城でも安土城のように?山頂の天守に住み(政務は山麓の御殿)
信長以降に入った城主によって改築され?家康により、山頂の城が廃城になったものの~
麓の加納城へ移築したとされるのが三層?四層?だったことから
信長時代も、そのような高層天守だったのか~??
しかし、一説には信長時代には平屋程度などもあり、不明な点も多い。

明治43年に地元の建設組合が、白く塗った板張りの壁にトタン葺きの屋根を持つ、
高さ15・15mの日本初の常設の模擬天守を建てたらしいっす(笑)

見て頂くとわかるかな?実はこの際、なんと天守台の石垣を
一回り小さく積み直すという暴挙に!?( ;´Д`)
まあ、当時は今ほど「歴史的価値」や「現存保存」って観点より
「観光目的」の為のノリ?だったのだろうか?(汗)史実とは疑わしい天守だった。
その初代模擬天守は、昭和18年に火災により焼失。

その後、昭和30年に鉄筋コンクリートで作られたのが現在の模擬天守。
今回は前回と違い?(苦笑)テキトーな空想お城ではなく、
先に出た加納城御三階櫓の図面や古文書を参考に建設されたらしい^^;

多少、豪華すぎではありますがw
そこそこ似てる?^^;でも、あくまで正確な図面や写真、資料などがない「本当の岐阜城」は謎です(笑)
脱線しましたが~その後、群雄割拠の小大名の争いが~信長の躍進、秀吉の頃には
徐々に戦も減って「領国支配の拠点」が城の役割に^^;
国割を統治する大名の数も決まってきて財力もあるので不便な山城ではなく「平山城」が主流に・・

規模は石高等で差がありますが~城下町を形成しやすい平野の中の小高い丘陵に
曲輪を堀や石垣で守る城郭をつくり、登城するのも山城ほど険しくないハイブリットな城・・(笑)
代表例は「姫路城」や「熊本城」など・・
そして、さらに平和な時代になり平らな土地に築かれた城が「平城」
この平城と平山城の区別は曖昧なとこもあり~
規模が大きな平山城?しかし、惣構えからすると、「平城」と言ってもいい?
天下人の居城の「大坂城」や「江戸城」などがある。

「平城」で有名なのは「松本城」や「広島城」?
大きな水堀や桝形の城壁などで守るのが特徴的な城ですね^^;
脱線しまくって、ようやくこの「山城・岐阜城」のご紹介・・

ますは~この「稲葉山城」として有名になったのは~何と言っても「斎藤道三」(笑)
大河ドラマでも、「国取り物語」最近では、明智光秀の仕官時代の城として有名に?

その道三の最後となったのが「長良川の鵜飼い」でも有名な城下に流れる長良川での「長良川合戦」(爆)

現在、金華山山麓は「岐阜公園」とされているため、今回は「岐阜公園提外駐車場(第二)」に駐車

今回は「時短」のために「金華山ロープウェイ」を利用します^^;
もちろん、登山好きな方などは~

各方面から登城できます・・・が!?見た感じ、かなりの急勾配なので~
観光などで訪れる方にはロープウェイ推奨(爆)

なぜなら~?ロープウェイですぐに着くのかと思えば?そこからも15分程度の登山ですので~

昨今のコロナ過ではマスクを鼻までするので、かなりの「酸素不足」で息苦しく大変なので(汗)

天守台付近でもかなりの絶景なのが分かります(最上階が楽しみ♪)

とても新しく綺麗なのは?平成の大改修(平成9年)を行った為で~
金の破風に、瓦には「織田木瓜紋」(豪華~)

内部の展示は平成の大改修でリニューアル?先に出た「山麓の御殿」発掘の資料も・・

内部は鉄筋造りで、道三の時代と言うより完全に「信長時代」の展示物ばかり^^;

JR岐阜駅前の黄金の信長像の縮小レプリカ・・そうそう、今~本物の像は?

コロナの感染予防呼びかけとしてマスクされてるそうで(さすが!リーダー)

甲冑のレプリカや(レプリカ多し)

レプリカの中で最も見ごたえあったのが「大徳寺総見院にある織田信長木像」のレプリカ
ほぼほぼ同じものらしく、信長の体格はこのくらい?(小男かな?)

大変よく出来てて?少し怖かったっす(爆)

いよいよ?最上階の展望部

キタコレー!!
標高329mの上に4階建ての天守から見る岐阜の街並みは圧巻!

この景色は~過去に見た天守最上階絶景ランキングでもTOPクラスの大景観!!
なにより~!?

回廊に出て回れるのが最高♪
遠く…信長時代に思いを馳せて・・

数百年前…信長は、この地より「天下布武」にて天下取りを夢見たんだな~って(*'ω'*)

この金華山山頂には、天守のほかにもお食事できる処が

昼間ももちろんですが~夜景も綺麗そうですね♪この施設の屋上にも~

ガラスの塀でまるで空中に浮かんでいるかのような絶景!(笑)
屋上展望台が!

もってるな~?(笑)この日はピーカンではるか遠くまで見渡せました♪

ロープウェイ付近には「リス村」?(笑)
お城や景色に興味が無い子供連れの家族向け?でしょうか^^;行きませんでしたけどw

もちろん!得意の開城直後に行ったので空いてましたが~
降りる頃には続々と観光客が来てました^^;
人気スポットなので~駐車場も含め、行動はお早目がおススメです♪

さあ、ここからはまた「信長が京へ上る時に通ってた道」であろう~
関ケ原を越えて…琵琶湖のほとり?
いよいよ!信長最後の居城であり~
近世城郭のはしりとされる「石垣の要塞・安土城」へ向かいます!
安土城編へ続く