熊本地震より約四ヶ月(熊本城視察)

2016年4月14日 前震(M6.5)
2016年4月16日 本震(M7.3)
・・熊本地震。
あれから約四ヶ月。

被害の大きかった地区(益城町・南阿蘇など)では、今なお一向に進まない復興に
ご不自由な生活を強いられてらっしゃる方が多いです。お見舞い申し上げます・・。

崩落した南阿蘇の阿蘇大橋

被害が大きかった益城町内

そして・・・。
この震災の「シンボル」的に扱われた・・名城・熊本城。
創建当時から残る見事な高石垣や櫓群・・。

瓦が落ち・・土煙をあげる天守閣・・。
衝撃的な映像が繰り返し放送されました・・。

これは、大天守の保存修理工事で5年間も足場に覆われた「姫路城」
この度、熊本市長は3年後までの「天守閣復旧」や20年後の「震災前の全施設復旧」を目標と発表しました。
嬉しい事ですが・・・姫路城のように?姿が見れなくなるまでに・・・
傷ついた姿を目に焼き付けておきたくて・・・
今回、急いで視察しに行ってきました。
興味のある方のみどうぞ
↓
高速道路や新幹線などのインフラは早急に復旧。
しかし、主要幹線道路(大分→熊本の国道57号)は大津の間に迂回路と完全復旧にはなっていません。

熊本市街地に入っても・・?
未だブルーシートに覆われた建物も・・(汗)

まだ再営業できてるとこはいいのですが・・・?
GSなんかは、軒並み廃業?閉まってましたね・・・。

熊本城は、この区間立ち入り禁止です。
城郭の外側からしか見学できないのですが・・

坪井川沿いの「馬具櫓」から「長塀」から見て回ることに・・。
清正公の銅像も・・・悲しんでおられるように見えました(´Д`;)

馬具櫓の石垣は崩壊・・・。

長塀については・・石垣よりも、上部の塀が長い区間崩壊・・。

須戸口門までの区間、壊れた長塀・・。

城の東側、十八間櫓等の石垣からの崩壊で・・・大被害な熊本大神宮

棒庵坂手前より小天守を臨む・・・。

小天守側は鯱も残り・・比較的軽傷?

坂を登りきると・・目に飛び込む戌亥櫓と石垣の大崩壊・・。
ここで、一番本丸に近い公開場所、加藤神社方面へ

見に飛び込んできた・・・・信じられない光景。
威風堂々・・・外観からは、何も変わらない宇土櫓と高石垣の勇姿が・・。
ここで、逸話を?一つ(笑)
江戸城の石垣普請で浅野家と加藤家では、浅野家が大幅に期間短縮の功で家康から褒賞を受けた。
一方、加藤家は地固めに近所の子供を遊ばせ工期いっぱいを使ってしっかり地固めをした。
翌年の大雨で浅野家普請の石垣は脆くも崩壊。清正流石垣はビクともしなかったという・・(笑)
・・これですね^^;手を抜かず作った400年前の最古の石垣が最強な理由は(笑)
やはり・・・「本物」は違いますね(笑)

ビクともしない宇土櫓と対照的に・・
損傷がひどい大天守・・・。
瓦が落ちてるのが原因ですが・・?これは『地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ』という
昭和時代の設計の為らしいですね^^;

最強の防備を誇った城の西側・・長塀が崩壊・・。

しかし・・?
遠巻きには、この三大天守は健在に見えます。

西大手門手前の石垣は大崩壊・・(汗)
同じように見える石垣ですが・・・
やはり作りが違うのでしょうかね・・?

しばらく・・・
このお馴染みの構図が見れなくなるかもですが・・??
熊本・そして大分の「完全な復興」のシンボルとして・・・
また、この勇姿が見れるのを心待ちにしたいものです。
では、動画版
復旧の節目、節目でまた視察に行こうと思ってます(笑)
ガンバレ!!熊本!!
オワリ
しかし、主要幹線道路(大分→熊本の国道57号)は大津の間に迂回路と完全復旧にはなっていません。

熊本市街地に入っても・・?
未だブルーシートに覆われた建物も・・(汗)

まだ再営業できてるとこはいいのですが・・・?
GSなんかは、軒並み廃業?閉まってましたね・・・。

熊本城は、この区間立ち入り禁止です。
城郭の外側からしか見学できないのですが・・

坪井川沿いの「馬具櫓」から「長塀」から見て回ることに・・。
清正公の銅像も・・・悲しんでおられるように見えました(´Д`;)

馬具櫓の石垣は崩壊・・・。

長塀については・・石垣よりも、上部の塀が長い区間崩壊・・。

須戸口門までの区間、壊れた長塀・・。

城の東側、十八間櫓等の石垣からの崩壊で・・・大被害な熊本大神宮

棒庵坂手前より小天守を臨む・・・。

小天守側は鯱も残り・・比較的軽傷?

坂を登りきると・・目に飛び込む戌亥櫓と石垣の大崩壊・・。
ここで、一番本丸に近い公開場所、加藤神社方面へ

見に飛び込んできた・・・・信じられない光景。
威風堂々・・・外観からは、何も変わらない宇土櫓と高石垣の勇姿が・・。
ここで、逸話を?一つ(笑)
江戸城の石垣普請で浅野家と加藤家では、浅野家が大幅に期間短縮の功で家康から褒賞を受けた。
一方、加藤家は地固めに近所の子供を遊ばせ工期いっぱいを使ってしっかり地固めをした。
翌年の大雨で浅野家普請の石垣は脆くも崩壊。清正流石垣はビクともしなかったという・・(笑)
・・これですね^^;手を抜かず作った400年前の最古の石垣が最強な理由は(笑)
やはり・・・「本物」は違いますね(笑)

ビクともしない宇土櫓と対照的に・・
損傷がひどい大天守・・・。
瓦が落ちてるのが原因ですが・・?これは『地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐ』という
昭和時代の設計の為らしいですね^^;

最強の防備を誇った城の西側・・長塀が崩壊・・。

しかし・・?
遠巻きには、この三大天守は健在に見えます。

西大手門手前の石垣は大崩壊・・(汗)
同じように見える石垣ですが・・・
やはり作りが違うのでしょうかね・・?

しばらく・・・
このお馴染みの構図が見れなくなるかもですが・・??
熊本・そして大分の「完全な復興」のシンボルとして・・・
また、この勇姿が見れるのを心待ちにしたいものです。
では、動画版
復旧の節目、節目でまた視察に行こうと思ってます(笑)
ガンバレ!!熊本!!
オワリ