岩国城(動画あり)

中国遠征リベンジャー3!?
岩国城!
まずは動画版
では・・レポ編

岩国城を知らなくても・・?
「錦帯橋」を知らない人はいない?だろうね~ってくらい有名な橋!
ま?そういった意味では~「錦帯橋があるのが山口の岩国だ」って
覚えて欲しんだがwこの橋の何が凄いって?
なんてったって「日本三名橋」!おまけに「日本三古橋」で~!?

作らせたのはこの方!三代目岩国藩主・吉川広嘉!!
この1673年(江戸時代)に架けられた木橋が現在まで技法を変えずに継承されてる事!

「釘を一本も使ってない」なんて話もありましたが~実際は使ってます(笑)
この橋が・・?

「昭和の天守再建ブーム」によって作られた
RC(鉄筋コンクリート)の復元?模擬?天守と‥大きく関係してる!?
ま・・それは、後程って事でw

まずは・・初代岩国藩主でもある築城主の「吉川広家」さん(笑)
元は毛利元就の次男だった父、元春が「吉川家」を乗っ取るために養子へ
その元春の子が「広家」・・ようは大元は「毛利の庶流」ね(苦笑)
ちょっと脱線ネタで^^;

広島出身のロッカー、「吉川晃司」!よくググると?
「吉川晃司は、吉川元春の末裔」とがでるんですが~・・家系図等の証拠はナシ、
吉川さんは実家は広島で被爆地で旅館経営?どうも「ガセネタ」っぽいですな( ;´Д`)

そう言った意味では~「伊達家の末裔」で有名なサンドの伊達ちゃん(笑)

こちらは~金スマやNHK?など・・数々の家系図検証で「実証済み」?

すんげ~小さくてわかりずらい!ですがw
伊達ちゃんとこは8代目で「分家」の筋で~宗家の17代目が「伊達政宗」ですね^^;
さて本線に戻して~(;´∀`)
歴史に詳しくない人の為に~経緯を説明しますね^^;

関ケ原敗戦時・・東は「徳川家康」、西は「毛利輝元」が総大将でした。
輝元自身は大坂城にいましたが~いわゆる毛利一族(毛利家、吉川家・小早川家)は
当然、宗家の毛利が西軍なので「西軍参加」でした・・。
結果として?その小早川の裏切りと~吉川広家の調略で毛利自身は動かず・・
なんとか「改易」を免れるように‥(汗)
これだけなら?広家は「ナイスアシスト」だったんですが~

これは毛利輝元(毛利元就の孫ね)
しかし~家康は広家が「輝元は戦に関与してない」との報告と異なり指揮をしてたとして
約束を反故にして毛利家を改易、代わりに吉川広家に周防・長門を与えようとした・・。
広家は焦り、、なんとか本家を立てるために奔走、
毛利本家は二か国で自身は領土の端で隣国に近い
岩国を与えられた・・言わば「毛利の盾」にされたのだ。
本家の側も、調略に動き「本領安堵」を確約した吉川が、
結果としては毛利の「大減封」になった事を恨み
家康の「広家優遇」に不満を持ったようだ。
後にこれは本家吉川家とを差別化し冷遇してもめさせる?
家康の策略ではないかと言われてる・・・

その為、岩国は長らく「支藩」ではなく「領」扱いだった
が~この広家は領国経営にも長けていて?
岩国が3万石から実高最大10万(17万石とも)?と称される発展に貢献した・・
そう、そして三代目の広嘉の時代に「錦帯橋」なので優秀な家系だったようだ・・
で?その広家時代の「岩国城」

時世的には「平山城」や「平城」が主流だったが堅牢な山城?
麓に館や城下町を形成する形で・・
当時、幕府は「一国一城令」を出していたので~
毛利宗家の長州藩の領の扱いだった岩国は「築城僅か7年で破却」の憂き目に(;´Д`)
これには、毛利宗家の暗躍いやがらせ?幕府からは「藩」扱いだった岩国は参勤交代も
してた‥にもかかわらず、岩国を「領」扱いの毛利がわざと新城を破却せざるをえない
仕打ちにしたのでは?などとの憶測がある・・

つまり!!
今ある「岩国城」は、わずか7年しか存在せず「幻の城」であった・・

そして・・実はその「本当の岩国城」が建っていたのは~もっと山の中(爆)
本当の天守台石垣も発掘復元されています

なぜ・・・?
ちゃんと「本来の位置」に建てずに・・??
復興天守になっても、今の「麓から見える位置」へ移動して建てられたのか?

そう!!
そこで~やっと「錦帯橋」とつながるわけです(爆)
ま~単純に考えて?
「城なんて見栄えがいい場所の方が映える!」っていう理由から?なのでしょうね^^;
そうして・・実際の天守台でない場所に「RC天守」が作られたのでした。

では、生き方をご紹介^^;
岩国城へは、岩国城ロープウェイがおススメ(;´∀`)
駐車場は無料です

チケットは、錦帯橋と城のセットとかいろいろお徳に買えますが~

私は全て個別で購入(朝に錦帯橋行って払ったので)

3分で山頂駅(笑)整備道を300mほど登ると・・

当時の絵図から外観復元?したらしい「変わった形の天守閣」へ

館内は~懐かしい感じの「昭和の展示」(笑)

それでも武具や・・

甲冑などの展示もあり

錦帯橋の模型も‥(笑)

そして~「麓から良く見える」 = 「山頂からも良く見える」(笑)

こりゃ~・・
「錦帯橋の展望所」としての城なら?
この場所に作るのも納得?ですね^^;

まあ、3万石の天守だし?
三層でこぶりなので・・外から見えた「廻縁」は飾り、高欄(手すり)も装飾で?
実際には・・

建物の中の窓から見るタイプの最上階でした
良いお城でしたよ♪
以上が「今回の遠征の城」でした