日本の美学「義」と「桜」

いなぞう 

2016年03月31日 02:06

え~っと本当なら「最後の最後の・・・最後の幕」記事を書こうかと思いましたが~(笑)




只今?・・・九州は「桜満開」間近♪


街を走ると、いたるところの桜並木が見事に咲き誇っていますよね~(笑)


そこで・・?


日本人における美学?まずは「桜」について・・・考察(爆)




石垣に桜は栄えますよね~♪


では、丹生島城(臼杵城)の夜桜ライトアップを見ながら・・(笑)



私の考える「日本人の美学」に関する考察?


「桜」と「武士道」に興味がある方のみ推奨(´Д`;)
  ↓




日本人で・・・「桜」が嫌いな人って・・・いるのかな?^^;

そりゃ~ま、嫌いな人もいるだろうけど(苦笑)


ここでは、なぜ人は・・・特に日本人は「桜」が好きなのか?考えてみました(笑)




まずは時期・・(笑)



寒い冬が終わり・・暖かくなって「春」の訪れを告げるのが「桜」♪


新生活の始まりが4月・・その時期にあわせて咲き誇る花♪

もちろん野外での宴会も重要?花見と酒はつきものなので?(笑)

ウキウキワクワク♪・・・からなのでは、ないでしょうか?(笑)




桜の花びらは、太陽に向かって咲くのではなく、比較的下を向いて咲きますよね(笑)

だから・・・見上げると目が合う(笑)樹の下から「見上げる」のに最高な花なのです♪



あと、桜は成長すると枝に大量な花を咲かせますよね♪その姿は~・・まさに「豪華絢爛」♪

また、その開花期間も重要だと思います(笑)


まさに・・・一斉に咲き誇り!・・・春の風と共に・・・一気に潔く「散る」


ここに・・・?日本人ならではの「美学」を感じるのでは・・?と個人的に思ってます(笑)



そして・・・その桜吹雪がまた見事♪

日本の城跡の多くは公園化されて・・桜が植えられてるケースが多いですよね?(笑)



その「地域の憩いの場」に植えられた・・・日本の「国花」♪(正確には菊と桜)

桜の樹の下には、人を惹きつける魅力があるのですね(笑)



そうなんです・・(笑)


日本になくてはならない景色・・。


「散り際の美しさ」に・・・日本人は美学を感じるのでしょうね♪




散り際が大事なのが「桜」と~・・・・「戦国武将」(爆)

多少強引でしたが~・・・(苦笑)


ここで・・私の大好きな「戦国武将」の美学について・・・考察^^;



只今、放送中の某国営放送の「大河ドラマ」(笑)

皆さん・・・当然見てますよね?(笑)


一昨年の「軍師官兵衛」とはまた一味違う?・・てか、全然違う^^;?

三谷コント満載の・・・ひさびさ毎週楽しみなドラマなのですが・・(笑)



真田信繁(幸村)は・・・言わずと知れた「好きな戦国武将のNo1」(笑)


理由は様々あるでしょうが^^;ま、日本人は「判官びいき」の国民性があるから?なのでしょうか?

判官贔屓とは・・?(不遇な身の上の人や弱い者に同情して肩を持ったり、応援すること。)




これと同時に、武士道の精神にも共感する部分が多いのかと・・・(苦笑)

武士道とは・・?(「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」からなる道徳。)



要は、武士の志。生き方ですよね(笑)

戦国の世は、家を守るためには裏切り、寝返りが当たり前のご時世・・。

そんな中でも、主君に対する忠義、自分の信じる正しいと信じる道(正道)を貫く生き様・・。




同じく高い人気の「上杉謙信」は義を重んじる武将の代表格(笑)真田丸では後継の景勝がメインですが^^;

ライバルの信玄が困ってる時に「敵に塩を送る」行為など・・・善行の逸話が尽きない武将です(笑)



同じく謙信の義の教えを受け継ぎながら?上杉家を支え続けた「直江兼続」も人気の武将ですね♪



前は「愚臣」の代表格・・今や「忠臣」と人気が出た石田三成・・・(苦笑)私は、黒田や加藤清正が好きなので^^;義の武将かな?って・・(苦笑)




ただ・・真田信繁の正室になった竹林院 の父、大谷吉継は義の武将と思いますね♪

友情の為に散ったその生き様は、多くの方に尊敬されるものです・・。



九州の武将でも、柳川城の立花宗茂も「太閤殿下の恩」を優先させた義の武将(笑)

ま、大谷吉継も立花宗茂も負けるつもりで「西軍」についたわけじゃないでしょうが^^;

結果はどうあれ?・・・状況の有利を優先せずに「受けた恩義」を選択の理由にあげるとこが「本物の武士」らしい生き様ですよね♪



この、父(高橋紹運)と義父(立花道雪)の生き様も素晴らしいので書きたいけど・・・長くなるので~(泣)

この素晴らしい「義」の精神をもった武将たちが活躍する・・・・。



上田城合戦(第一次)が・・・まもなく放送されます♪

この上田城の真田の篭城戦・・・なにが有名?かというと・・・?



ま・・その合戦にいたるまでの経緯は・・・省略しますが(苦笑)

信繁の父、昌幸の戦略で・・・結局、城まで作らせられて挙句に裏切られた・・・



関東の大名「徳川家康」(笑)

今回の真田丸の「重要なキーパーソン」で・・・この家康が実にいい!てか、面白い(爆)

見てない人は、どうか再放送見ても欲しいのですが^^;その大勢力の家康が大軍で真田軍を攻撃・・・





まさに・・・多勢に無勢のこの戦いに・・・?

真田は勝ってしまうのです(しかも二度も)


この弱者が強者を倒すストーリーが・・・実に日本人が好きな話なんすよね♪まさに「判官びいき」(苦笑)

上田合戦は


第一次上田合戦  真田 2000 対  徳川 7000~8000?

第二次上田合戦  真田 2500 対  徳川 38000と言われてますよね(((゜Д゜;)))


常識では考えられない・・・まさに奇跡の勝利です(笑)

今から放送が楽しみデス・・・でも、篭城戦は決して「守る方が有利」ではありません(´Д`;)


九州でも・・・歴史に残る「篭城戦」が・・・(苦笑)




先に出た大友の忠臣たちが、薩摩の猛攻に耐えて秀吉の九州征伐が来るまでの一連の合戦・・。

その中でも、最も壮絶な篭城戦が行われたのが・・・大友家家臣の高橋紹運が篭る岩屋城の戦い・・。


息子の宗茂の守る立花山城への進撃を食い止めるべく、玉砕覚悟で戦った紹運・・・。



寄せ手(攻撃側)の島津忠長も敵将として武士として・・・その散りざまに敬意を示したと言われてます・・。

紹運は、結果700人あまりの家臣を道連れにしてしまった事になるのでしょうが・・・

この篭城戦で薩摩軍は秀吉軍の到着を招いてしまい、結果九州での戦は平定後少なくなり多くの民が死なずに済んだと言えるでしょうね。


負けるとわかっていても・・・息子のため、主君のため?武士の誇りを持って散って(死んで)いった高橋紹運・・。


自分自身のためにではなく・・・人のために勇気を持って、命を投げだす潔さ。


男として・・・武士として・・?


見習いたい生き方?死に方?ですよね・・・(笑)



美しく・・・そして悔いなく咲いて(生きて)・・・潔く散って(死んで)いけたらいいなぁ・・・(*´∀`*)




これからも「真田丸」に期待デス♪




オワリ















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