福岡城(2022.7月後半いなぞう通信)動画付き
もう8月も中旬?というのにw
やっと7月末の「福岡」へ行った記事^^;
まずは「動画版」
いかがでした~?
ではレポ編開始w
コロナ・・いっこうに終息の気配なし?( ;´Д`)
しかしながら~低い死亡率が・・ちょっと連日20万人感染の事実を薄めちゃって?
なんとなく…皆が行動制限してなくて(; ̄ー ̄A
最初は~ステイホーム
近場での低山登山をリハビリがてら・・?
でも、暑すぎて…(´д`|||)
結局、クーラーの部屋で「高校野球三昧」(苦笑)
しかし~・・たまには家族で遊びに行きたくて・・?
俺と姉妹の行ってみたいとこが~「福岡」で一致!?
そんじゃ~感染気をつけて!みんな連れて行くか!
ってんでw
まずは~店が開く前の早朝に!
俺が行きたかった「福岡城」の城跡の「舞鶴公園」へ・・
で~ここからは「福岡城」のウンチクをww
福岡城を語る上で~やはりこの人は外せないですね^^;
築城(縄張り)の名手として、数々の城を手掛けてきた黒田如水(官兵衛)
事実上、官兵衛は関ケ原以前は豊前(中津)の領主でした。
息子の長政が関ケ原で大活躍して~筑前に52万石の大大名に出世!
そして本拠として名島城を取り込んで大きく拡張させた城を「福岡城」としました
筑前博多は古来よりの貿易港で栄え、九州の玄関口にして朝鮮や大陸にも近く
九州でも、どの武将も欲しがり争っていた土地でした。
そこに官兵衛と長政は家臣の屋敷を三の丸に、また城下町っを
北側の博多港付近に東西に伸ばして
海にも近い、惣構えの大城郭を作りました
1601年から7年かけて作られた城は、招かれた加藤清正(熊本城を作った城つくりの名手)からも
大絶賛された見事な縄張りの城だったそうです
天守については記録はなく、1646年に描かれたとされる古絵図にはすでに天守閣は描かれていなかったそうです
石垣群や当時の情勢からしてもそれ相応の「高層天守」があったと考えられています。
しかし、それ以降も天守閣を再建することはされなかったようです
少し余談ですがw
大都市、福岡において中心地の開発は欠かせなく残念ながら多くの櫓や石垣は廃城令で破却されました
その広大な土地も、様々な再開発に利用されて?
この2020年の航空写真で見る黄色の丸部分に・・
1997年まで・・九州の「野球の殿堂」と言われる球場・・
そう、市内の一等地のアクセスの良さに浜風が涼しい地元企業「西鉄」がフランチャイズだった
「西鉄ライオンズ」が大活躍し、幾多の名勝負が繰り広げられました
私も、西鉄やその後のクラウンライター時代は知りませんがw
大坂の「南海」が身売りして、再び九州に「プロ野球」が帰って来た
「ダイエーホークス」の創世記に~社会人生活が始まって^^;
友人らと車に乗り合わせて、この「平和台球場」まで年に数回、観戦に行ってました!
その後、立派な福岡ドーム(現ペイペイドーム)が出来て・・ダイエーからソフトバンクへと
「常勝軍団」が育っていくのを間直に見れて幸せでした‥(笑)
さて、話は戻り^^;
今も市民の憩いの場である城址公園である「舞鶴公園」
残された遺構(石垣)で囲まれたテニスコートなどユニーク^^;
黒田節の由来となった有名な家臣の「母里太兵衛」の長屋は移築?
官兵衛(如水)の隠居屋敷は今は庭園
残念ながら?伝潮見櫓はどうも移転して実際の潮見櫓とは違うらしく?
下ノ橋御門も復元・・なのですが?正確な復元ではなかった?らしいですね^^;
名島門は、以前あった「名島城」の物らしい
唯一の「現存櫓」の南多聞櫓
本当に残念ながら~櫓などの遺構は少ないので・・
一番の見ごたえは「天守石垣群」
大天守のあったとされる場所に「基礎石」
天守台しかありませんがw
見晴らしは良好で!遠くももち浜のドームやタワーもバッチリ!
遺構の櫓にも・・しっかり黒田家の家紋、藤藤巴
お城巡りを堪能した後は~
長女は福岡の友達と合流、俺と次女は糸島方面へドライブw
虹の松原まで「からつバーガー」食べに(唐津城はNGだそうです)
再びドーム近郊の新しい商用施設を見学(写真は撮れなかった)
夜は8時閉店が意外に多くて(;´∀`)
大分にもある「一蘭」で食って帰りました!
何とかうちは「無事」でしたがw
感染行きを着けましょうねw