お城紹介(松山城・今治城)

いなぞう 

2020年11月23日 11:57




毎度、長い脱線記事が多いので^^;ここからはサラッと~四国の城の魅力や見どころ紹介として!


1回目、松山城(現存)と今治城

2回目、丸亀城(現存)と徳島城

3回目、岡豊城と高知城(現存)

4回目、大洲城と宇和島城(現存)


でご紹介予定^^;比較的、脱線なしで・・・いきます(苦笑)


では、さっそく!



松山城の歴史から・・(また脱線ですがw)

戦国の世で~信長から秀吉にかけて、四国が統治される前・・

伊予国(愛媛)は、室町時代より長らく「河野氏」が守護大名として統治してきました。



そして、本能寺の変時に長宗我部の統一、その後秀吉の「四国征伐」後に加藤嘉明が10万石?で入封

関ケ原の合戦後さらに20万石に加増された時に、居城を河野氏時代の「湯築城」や「正木(松前)城」から



標高131mの勝山(城山)に移し、天守閣を持つ「本丸」を山頂に・・



麓に御殿などがある「二の丸」、さらに城下町の「三の丸」をして伊予20万石の居城とした。



秀吉と家康の時代になると~大名個々の領地争いはなくなり、天下人(関白や将軍)による

封建制度に戻ったので城の在り方は変わってきた。

何より家康による江戸幕府下の「一国一城令」により居城以外の支城(山城等)は

一気に破却が命じられ・・「戦いに用いる城」から「領土の管理の中心」へと意義が

変わって来た。なので、多くの武将はその領土の「交通の中心」や

「城下町が形成しやすい平地」に城を構えるように・・・



創建当時は、資料によると天守閣は「5層」であったらしいですね^^;

しかも!?築城主の加藤喜明は完全な完成を待たずに広島の福島正則の改易後の

広島へ移封となります^^;




その後、蒲生忠知が24万石で移封されるがお家断絶。代わりに松平定行が15万石で

松山藩主へ‥この時に3重の今の天守閣に改築されたそうです。



天守構造は大天守と小天守・南隅櫓・北隅櫓を3棟の渡櫓(廊下)で連結し連立式天守

これは、姫路城と同じで一外様大名にしては実に豪華な櫓群!(ここが見どころね♪)

なので、日本三大連立平山城(姫路城・和歌山城・松山城)に称される。




松山市の中心に位置しているのでアクセスは良好で

車での場合もロープウェイ乗り場近くに駐車場アリ

徒歩でも登城できますが~^^;



子供や老人、また時短のためにもおススメはロープウェイやリフト(笑)

見晴らしも良く楽しいですよ♪



ロープウェイで本丸に到着後、高石垣の見事な石垣群がお出迎え^^;



山頂にこれだけの大きな石垣や櫓群・・見事です♪



立派な櫓門^^;



石落としなども、当時の風格で見ごたえありますよ♪



本丸の広場にて~またも「検温」!

ロープウェイでもしたのに!?・・って思ったら~?

そっか・・徒歩で登城なら~ここまで自由に入れるんだ(笑)

有料区間は、この連立式天守の部分のみです・・



天然の要害、勝山・・その急坂をよじ登ってからの~この高石垣に櫓群!



大軍が攻めあがることは不可能&鉄壁の防御力ですな~♪



導かれるように連立櫓群の中へ入ると・・



大天守は間近に見えるものの~まさに「袋のネズミ」!?



大天守下の扉に気付く頃には~討ち死に必至!(爆)



城内に入ると・・さすが「本物」!

全て木造の当時を偲ばせる趣ある通路や居間に感動♪

展示物を多数置くよりも~当時の城内を感じられ好感もてます(笑)



山頂の城にしては大きめの大天守。

大きな梁に広めの通路(階段は急ですが^^;)



ここで・・当時の大名は何を思ったのか・・?

あ、そうか?有事以外は、ふもとの御殿が居住地なんですな?( ;´Д`)




最上階の部屋。大きめです(彦根や犬山よりも)




廻り縁の回廊・・には出れませんが?

大きな窓で、眺望は素晴らしい!



良い眺めです♪



ここから、本丸の曲輪が見渡せて壮観!

山頂部を切り開いた見事な縄張り



これだけの物を山頂に揚げるだけでも大変でしょう・・

石高に見合った?・いや、20万石弱には豪華な城郭ですよね~



大天守が3層なので「控えめ」ですが~これが5層だったころは?

まさに「小ぶりな姫路城」って感じだったでしょうね~!豪華な城郭ですね!



本丸の中に茶屋やお土産物屋があります♪

愛媛と言えば~みかんの名産地!

有名な「蛇口からミカンジュース」の販売所もありました(飲まなかったけどw)




ロープウェイ乗り場の下に「坊ちゃん銅像」(笑)

感染症対策も見事で、立派な城郭で感動しました~♪




では、次は・・?



瀬戸内海の水上交通の要所、今治港

その当時の重要拠点の今治の統治目的に~

築城名手で名高い「藤堂高虎」が縄張りしたという名城!今治城!!



藤堂高虎の城の特徴・・は色々あるのですがw

まずは!この城の最も有名な点は「日本三大海城」に称される事でして・・

現在はグーグルアース写真のように埋め立てられてますが~



当時の古地図を見てわかる通り~

三重の堀に囲まれた・・しかも水堀には海水が引き込まれ!?

瀬戸内へと船で出れる国内最大級の船入を有した城だったらしく・・



確認はできませんでしたが~・・堀の中には、海の魚が泳いでいるんだそうで^^;



戦のない時代の「平城」らしく~・・

標高差は全くないので^^;街中にいきなりドーン!って大きな城郭が登場してビックリ(;・∀・)



鉄御門・武具櫓へ繋がる通路を城内へ



高虎の城の特徴・・それは?

直線的なデザイン、四角い曲輪・・など^^;

石垣の勾配に反りがない(直線的)なのも大きな特徴(工期短縮できる)



本丸曲輪に入ると~立派な5重の「模擬天守」それに「藤堂高虎像」


・・はい!、ピピッーーーー!!止まりなさい!!(爆)


なんで「模擬天守」なんだ~??


*模擬天守とは・・

天守の規模や位置、外観などが史実と大きく異なる場合や、天守が実際にあったかどうか

分からないのに再現したもの、天守がなかった時代の城郭に天守を建ててしまったものを

「模擬天守」(もぎてんしゅ)と言う‥(苦笑)





つ、つまり???



この立派な天守の建物は…まったくの想像で作っちゃった!?

何でも資料では~

藤堂家の家譜には「城中に五層の高楼を建て、府下を五街に開き」とあるらしいが?

敷地内に天守の遺構が確認されていない・・つまり「天守があった跡がない」のだ(;一_一)


他の資料には~・・

高虎から、「亀山城(丹波国)天下普請の際に徳川家康へ献上され」とあるように?

創建時あったとしても、短期間で他の城へ「移築」された・・その「亀山城」とは



う~ん‥確かに!?

高虎の代表的な城の形式の「層塔型」の天守…(苦笑)

あれ?この模擬天守は・・



思いっきり・・「望楼型」ですやん・・(;´∀`)

いわゆる「張りきって立派なヤツ建てちゃった」パターン?・・のようですな( ;´Д`)



ま、ね?

お城に「こだわり」がなきゃ~・・立派な方がいいのはわかる(苦笑)


でもね~・・松山城なんかの現存建築の「本物」を見てきた後だと・・?



城内に入って、いきなりの近代建築(コンクリート建築)見ちゃうと・・



広くて明るくて・・登りやすい階段見ちゃうと・・・ねぇ?わかるでしょ?(~_~;)




しかしね、残った遺構が現存でない場合・・

やはり、この城の様なパターンがほとんどなんですよね(;´д`)

だって・・木造の維持管理は莫大なコストだし・・




まあ、その分?防火や保安面に心配が少なくなるので~展示物は明るいライトで見やすいしw



単純に・・?

っまあ、出来れば史実や資料なんかが残ってる天守なら?

「できる限り正確に‥外観だけでも復元してくれるといいけどね~」




ま、無ければ(天守が)しゃ~ないか?(苦笑)



本当の事は…当事者(高虎?)のみが知る?(爆)


ね・・高虎w



でもま~今治の「ランドマーク」であるのは間違いない事だしw



風水害にも強い鉄筋コンクリートの「展望台」と思えば・・?




この天守閣の「存在意味」も理解できますよね^^;



あ、ここが「船入」かな?よくわかんなかった^^;



復元された多門櫓



「外観」に関して言えば・・・

実に立派で見事な「城」でした!



400数十年たった現在にも・・


そこに「こんな城があった」って伝え続けていくことが大事だと思いますし・・



やはり、こんな「コンクリートの城」を見てると~・・

「現存建築」の12城の「存在価値」を強く感じますね^^;




やっぱ・・「本物には勝たん!」(爆)





関連動画








丸亀・徳島城編へ続く(笑)















































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